新聞の盲点

一般社団法人金融財政事情研究会創立と同時に創刊された、金融の専門週刊誌『週刊 金融財政事情』に掲載のある記事になります。

2018.09.04.

「岡野城」が遂に開城、スルガ銀行改革の本丸とは

開城の時は刻々と近づいている(写真はスルガ銀行本店、左上は岡野光喜会長)

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※『新聞の盲点』は、『週刊 金融財政事情』に掲載されている記事です。『週刊 金融財政事情』の詳細はこちらから

スルガ銀行のシェアハウス関連融資に端を発する不祥事の全貌が見えてきた。審査資料改竄などによる不適切融資の手法は不動産案件全般に及ぶとされ、第三者委員会の報告を踏まえて金融庁の重い処分が予想される。そうしたなか、スルガ銀行では行政処分に先んじて自ら「患部」をあぶり出そうという動きが出ている。融資手法やコンプラ体制ではなく、「企業文化」を改革する動きだ。不祥事の温床となったスルガ銀行の文化はどのようにして醸成され、何を改革すべきなのか。


「中からでは変えられない」

 6月28日、スルガ銀行の株主総会。シェアハウス融資に絡んで岡野光喜会長が初めて公の場に現われ謝罪したが、議案となった岡野会長の取締役選任の賛成割合は対象者中最低の71.3%。怒号と「動議!」の声がやまぬなか、会長再任を含む議案は原案どおり可決され、閉会した。
 その株主総会の前週、社外取締役・社外監査役の候補者が自発的に集まり、独立した組織を立ち上げることを決めた。「企業文化・ガバナンス改革委員会(改革委)」である。取締役・執行役員等の人事・報酬やコンプライアンス、ガバナンスなどについて取締役会に対し勧告を行い、その実施状況についても監視する組織だ。「組織を変えるためには社内中心では何もできないと考えた」。改革委の委員長で、社外取締役の木下潮音弁護士は話す。
 改革委は、社外取締役・社外監査役が7名、社内の取締役が米山明広社長を含む3名の計10名で構成される。会社法上、スルガ銀行は監査役設置会社であり、改革委に法律上の統治機能はない。しかし、全取締役11名のうち7名が改革委に名を連ねており、取締役会もその意見を尊重せざるをえない。同じ社内組織としてすでに設置されている「危機管理委員会」とも連携しており、改革委は実質的に指名・報酬委員会と同等の権限を有する。また、スルガ銀行としても、「金融庁の業務改善命令は重い処分が予想され、内容を見てから改善計画を準備するのでは1カ月以内の提出期限に間に合わない。ある程度先んじて手を打っておく必要がある」(同行関係者)と考えたようだ。一連の不祥事に対する自浄作用がようやく働き始めた。

「忠臣」ゆえの暴走

 実は、当初案では改革委の名称は「ガバナンス改革委員会」だった。「企業文化」を加えたのはなぜか。
 スルガ銀行の本拠地がある静岡県は、大きく東部・西部・中部・伊豆に分かれ、エリアごとの独立性が高く、かつ多くの地元金融機関を擁している。地銀だけでも静岡銀行、スルガ銀行、清水銀行、静岡中央銀行がひしめき、預金残高約1.6兆円を抱える浜松信用金庫をはじめ、静岡県信用金庫協会に属する信金は12金庫を数える。
 この4分割されるエリアのうち、岡野喜太郎が東部・沼津の地に1887年に設立した「共同社」が、スルガ銀行の前身だ。岡野家は太平洋戦争中、政府による地銀合併方針「一県一行主義」を拒絶し、独立性を維持したまま地域に君臨してきた。岡野光喜氏が頭取となったのは1985年。2016年に会長に退いた後も、代表取締役CEOとして絶対的な権力を保持してきた。
 岡野家の影響力は絶大であり、その求心力は地域から社員にまで及ぶ。岡野会長は70歳過ぎで、役員は50~60代という世代ギャップもあり、業務運営に関して具申できる者はいない。そして、実質の現場トップは営業部門を仕切っていた岡野会長の実弟、岡野喜之助氏(16年に死去)。喜之助氏が営業推進と取引先チェックを一手に担い、本来ブレーキ役を果たすはずの審査部門やコンプラ部門には独立した権限などなかった。あるスルガ銀行関係者は「当時は有能な社員がフロント部門で、コンプラなど管理部門はそこからあぶれたものという認識だった」と話す。喜之助氏の急逝後、営業部門の統括は当時の専務が担ったが、その専務はアクセルしか踏まなかった。結果として営業部門は暴走し、シェアハウスの「不適切融資」の引き金となった。
 問題は、暴走に至った背景にある。それは、「トップの意向に沿って行動することが正しいと確信しており、自らの行いを客観視しない自立性・自律性のない組織だった」(木下氏)という“トップありき”の姿勢だ。それゆえ、米山氏が社長に就任する前、当時社外監査役であった木下氏が取締役会にサクセッションプランの必要性を訴えても、受け入れられることはなかった。
 いわばスルガ銀行は、岡野会長という「殿」を頂点とする家老・家臣で支えられた「岡野城」。家業ゆえの高い独立性は、一方で閉鎖性を生んだ。個人ローン特化というビジネスモデルのノウハウの流出をおそれたこともあって他者とのコミュニケーションに消極的であり、社内はもちろん世間からの批判を受けることもなかった。つまり、スルガ銀行にはトップに物申せぬ風土が根付いており、従属的な「忠臣」が懸命に任務を遂行した末路が今回の不祥事だ。この文化を変えない限り、ふたたび同じ事件が起こりえる──これが委員会の名称の頭に「企業文化」を加えた理由だ。

迫る「開城」の時

 改革委はその第一歩として、全支店長が集まる「全部店長会議」の中身を株主総会後に一新した。キーワードは「自ら行動を変える」だ。恒例の岡野会長の挨拶は20分で済ませ、木下氏と社外取締役の河原茂晴氏の講義を拡充。午後はチーム討議方式とした。テーマは「スルガ銀行の良いところ、悪いところ」。後者について上がったのは「ローンを売るまでは丁寧だがアフターフォローがない」「地元のお客さまにはメリットを感じてもらえていない」といった声だった。
 そして「顧客本位」についても話し合ったが、「討議の中からは何が顧客本位の本質かということは見えてこなかった。支店を変えられるのは支店長しかいない。今回の討議の結果を顧みて、その思いを支店で共有するよう参加者に伝えた」(木下氏)。殿の忠臣にすぎなかった社員たちが、初めて自分たちを客観視し、自ら変わっていく機会を与えられたといえる。
 8月9日に公表したスルガ銀行の第1四半期決算では、「本業」である個人ローンの実行額が162億円にとどまった。18年3月期の実行額は3533億円。昨年度ベースで考えれば4分の1が計上されなければならない計算となるが、実際には20分の1にも満たない。また、19年度予想の実質与信費用190億円のうち、第1四半期ですでに102億円が計上され、貸倒引当金の積増しが現実味を帯びる。「19年度の最終的な着地は黒字スレスレか、赤字の公算が大きい」(銀行担当アナリスト)。城の財政も傾きつつある。
 木下氏は、改革委として人事勧告を行う時期・内容の明言は避けつつ、「(処分に伴って)空席となるポストの位置付けについて事前に検討しなければならない」と述べる。つまり役員級に対する勧告を予定しているということだ。そして改革委には岡野会長は参画していない。結局、スルガ銀行の文化は岡野家によって醸成されたもの。その文化が改革されるべきものである以上、やはり殿は城を明け渡さなければならないだろう。スルガ銀行が「開城」し、「普通の銀行」になる時が近づいている。